書名(邦名、原題名)

心地よく秘密めいた場所(訳者:青田勝)
A FINE AND PRIVATE PLACE

事件名(戒名)

インポーチュナ家連続殺人事件、あるいは九殺人事件

被害者名

ジュリオ・インポーチュナート(インポーチュナ産業経営者)
ニーノ・インポーチュナ(インポーチュナ産業経営者筆頭)

凶器

火掻き棒(長さ三フィート、三叉の鉾の形状をした重いもの)
アブストラクト彫刻(鋳鉄製、タイトルは『新しく子供が生まれ出る』)

死因

いずれも、鈍器による頭部殴打

内容

1962年8月9日、ウォレス・ライアソン・ホワイトは、監査役を行っているシューパーパ食品とLMTエレクトロニクス、ハリス・フラー農機具、アルティマ鉱業に対する不正を、コングロマリットの社長であるニーノ・インポーチュナに弾劾された。ウォレスは会計をごまかすことで過去3年に渡って30万ドル以上もの不正な利益を得た上に、それでも4万8000ドル以上の債務を抱えているのだ。そんなウォレスに対して、ニーノは二つの選択肢を提示した。横領の罪により刑務所に行くか、あるいは告発を取り下げてもらう代わりに娘のバージニアとの結婚をニーノに斡旋するか、である。ウォレスは形だけは抵抗したが結局21歳のバージニアと63歳のニーノとの結婚を取り持つことにした。ニーノはさらに、結婚後5年間は財産の請求権も寡婦産も要求しないことを要求した。結婚直後、妻となったバージニアが離れないようにするためだ。これにもウォレスは同意した。

1967年5月、ニーノの弟ジュリオ・インポーチュナートが何者かによって殺害されるという事件が発生した。捜査に当たったクイーン警視は、エラリイに捜査の応援を頼んだ。当然のように、エラリイは締切りを蹴っ飛ばして、事件解決に乗り出すことになった。鑑識の結果および殺害現場となった図書室を調査したエラリイは、ジュリオが左利きの人間に殴られて死んだかのように見せられたことを看破した。左利きであり、また事件現場にいくつもの証拠品を残していたことで犯人として疑われていたジュリオの兄マルコは、ジュリオと口論したことを認めていた。だが、この件について詳細な捜査が行われる前にマルコが自殺してしまったため、事件の真相は不明になってしまった。

そして、1967年9月9日。ニーノ・インポーチュナとバージニアが結婚してちょうど5年経ち、ニーノは当初の約束とおり、バージニアを正式な相続人として取り扱うことを示した。その次の日、ニーノが何者かによって撲殺されているのが発見されたのだ! しかも、クイーン警視による捜査開始直後、匿名による奇妙なメッセージが捜査本部へ届き始めた。ニーノ・インポーチュナに関わる事柄ではあるが、それらのすべてはガセネタであった……最後の通信『1966年12月9日に、バージニアとランチを共にしたのは誰か?』というのを除いては。

果たして、最後の通信に示された人物が犯人なのか? そもそも、謎の通信は誰が送ってきたのか? エラリイの頭脳が突き止めた真犯人、その正体はいったい誰か!?

感想

ついに最終巻である。粗筋や感想のみならず、作品の細かいところまで取り上げるような書評を書き続けて2年以上。子娘を産むために実家に帰った奥の方を見舞いがてら、持参したマシンで原稿を書いていた最初の頃を思うと、よくぞここまで辿り着いたものだ、と自分を誉めたくなる(<絵に描いたような自画自賛)。その間、子娘は、産まれるわ、はいはいするわ、歩くわ、暴れるわ、とあれよあれよというような展開だったし、それ以外にも個人的なイヴェントもあったし、というわけで長いようで短いような、短いようで長いようなこの2年と半年以上であった。

と、そんな個人的な感想をつらつら書いていてもしょうがないので、本作の感想に移ることにする……と言いたいところなのだが、実は案外書くことがない作品であったりする。『名探偵の世紀(森英俊・山口雅也編、原書房)』の巻末討論会で、有栖川有栖氏が“もう見てられない。箸を持つ手も震えてるみたいな(笑)”と言っているように、本作はこれまでのパターンを必死に踏襲しようとして辛うじて成功している――決して上手くはない――作品なのである。真犯人の行動は、どう考えてもそれまで作中で示されてきた性格から行えるものとは思えないし、さらに言えば、なぜ真犯人はエラリイに対してフェイクを仕掛ける必要があったのか、まったくわからない。ついでに言えば、エラリイが真犯人を突き止めることができたのは、論理や推理ではなく推測であるとしか言い様がない。そういうわけで、本作はいささか最終作というには相応しからぬ作品である。

しかし、歳月を経て感じたこともあったりはする。当初この本作を読んだときは確かに何も思わなかった。だが、今の筆者は、無性にこの真犯人に対して嫌悪を感じるようになっていたりする。もしもこの真犯人が目の前にいたとしたら、お前はアフォかバカか人間のクズかと小一時間以上問い詰めた後で、グッタリするまで殴って殴って殴りまくりたい、という欲求を抑えることができない。これまでの作家クイーンの作品に出てくる犯人に対してはそういう感情を有したことがないわけだから、そういう意味では、本作は最終作に相応しい真犯人が登場した作品である、と言えなくはないかもしれない。

特記事項

ニーノ・インポーチュナ

イタリア系。妻のバージニア曰く、サボナローラに似ている男で、ずんぐりと肥え、がっしりとした筋骨たくましい肉体を有しており、大きな頭に、帆船の舳先のように尖った鼻、女のように優しげに見える小さな口、太い真っ黒な眉毛の下にエスプレッソ・コーヒーのような目をしている。そして、右手の指が4本(人差し指と中指とが癒着している模様)。
吸っている葉巻は安いが、アフターシェーブローションは1オンス10ドルもするものを使っている。
迷信深い質で、姓の字数がラッキーナンバーに合わないから、ということで元の姓インポーチュナート(Importunato)からインポーチュナ(Importuna)に変えてしまうほど。
結婚した時点で、性的不能だった

クランプ

ニーノの執事。マンハッタンでは残り少なくなった正真正銘のイギリス風の執事で、その職業特有の第六勘の持ち主

ピーター・エニス

三十歳(1959年ハーバード大学卒)で、ニーノ・インポーチュナ、ジュリオ・インポーチュナートおよびマルコ・インポーチュナートの秘書として、三人兄弟の私的な事務を任されている人物。
背が高く、肩幅が広く、濃いブロンドで、内分泌質の活動状況に応じてグレイ、ブルー、グリーンのいずれかの色に変わる目をした、アメリカ人らしい青年。
バージニアの不倫相手

流木板

ふとした思いつきで、エラリイが書斎の壁に張らせたもの。
くぼんだ不規則な縞模様の木目の表面は、潮に掻かれたようにも見え、海の泡らしい灰色の塩のしみも上手くあしらってあるもので、エアコンを強冷にセットすれば、まるでロングアイランド湾の遊覧船上のデッキにいるかのように思える逸品。
しかし、書斎の環境が変わってしまったために、全く仕事が進まなくなってしまったという問題が発生

ティパレリー

プラウティ医師のお勧めのカクテル。エラリイが試しに飲んだところ、実験室の臭いがプンプンする代物だとか

東九九番ビルディング

イーストサイド上手、イーストリバーを見下ろすアパートメントで、1890年代終りの有名な建築家が建造したかなり旧式の9階建てのビル(ペントハウスつき)。
ニーノが購入し、外観、内装を建築当時の状態に復元し、加えて配管工事や最新式の冷暖房設備を施した。
ニーノ、ジュリオ、マルコの三人が住んでおり、インポーチュナ産業の重要な指示すべてはここから発せられる

ジュリオ・インポーチュナート殺害の余波

ウォール街のみならず、ヨーロッパの株式市場にも大変動が生じ、巡り巡って市警総監および市長からクイーン警視への強い捜査督促が行われた

われわれは文学のみぞ掘りですからな(P.72〜73)

事件捜査に加わることを決めたエラリイが、出版者と約束した締切りを蹴っ飛ばした際に言ったセリフで、全文は次のとおり。
出版業界では、ミステリ作家なんかに気をとめるものはだれもいやしません。注意するとすれば、彼のささやかな努力から生じた利益を銀行に振り込むときぐらいのものです。われわれは文学のみぞ掘りですからな(P.72〜73)
咋今はミステリ全盛だから、ミステリ作家を気にとめるものはけっこういるのではなかろうか

ジョー・ボイターシャック

鑑識課の巡査部長。鑑識課の中でも最も信頼のおける警察官であり、この彼が残業をしているのを見たエラリイは、今更ながらに今回の事件がかなり重要なものだと感じた

バージニア・ホワイト・インポーチュナ

ニーノの妻で、夫との年の差は三倍。
生まれつきのうすいカフェオレ色の金髪、賢そうな大きなバイオレット・ブルーの目、北欧系らしい高い頬骨と小さなまっすぐな鼻をした美人。かかとの高い靴をはいた夫より、ローヒールをはいた彼女の方が背が高い。
几帳面な質で、黒いモロッコ革に金文字の押し型のついた大型の日記帳を持っており、日記を欠かさずつけている。これが捜査におおいに貢献した

ジュリオ殺害時のニーノのアリバイ

犯行時刻と目された九時半から十時半の時、ニーノとバージニアは《パルシファル》を、ヘンリー・L・ファクター上院議員、タメルティ主教(ニューヨーク主教管区)、パーク・アベニュー改革聖殿のウィンクルマン首長と観賞中。
なお、ニーノはワグナーは熱中する気にならず、《パルシファル》は退屈でやり切れないらしい

三冊のさかさまの本

ニーノの本棚の中に逆さまで刺さっているもので、これを秘書のピーターが元の状態に戻していたのを見つけたニーノは激昂した

1967年9月9日

ニーノ68回目の誕生日で、バージニアとの結婚5周年にあたる。
ニーノの住むペントハウスには、バージニアの父、インポーチュナ産業の諸会社でニューヨークに本部を置いている会社の首脳陣、各国の大使、国連の外国代表の有力者、財界の同業者、どこにでも顔を出す政治屋、宗教団体など、贈り物や花を持った人々が引っ切りなしに詰めかけた。
また、国内、海外の1万1社におよぶインポーチュナ産業の各企業からの祝電、海外電報が箱一杯配達された

ピーターの贈り物

ニーノの誕生日の贈り物としては、ガブリエーレ・ダヌンチオが恋人のエレオノーラ・ドゥーゼに宛てた手紙(月桂樹の葉と森の神サチュロスをあしらったあざやかな金色の額縁におさめられていて、詩人であり軍人でもある文豪と女優の写真も入っている。手紙の日付は1899年)。
結婚記念日の贈り物としては、19世紀中頃の乳色の白鳥を飾った網状模様のガラスの花瓶(バージニアもニーノもヴェニス製ガラスが好み)

バージニアの贈り物

ニーノの誕生日の贈り物として、美しいクリスタルガラスの酒壜で、一本一本にプラチナでNIの頭文字が付されている。その壜の中身は、バルカッチア噴水の水。
バルカッチア噴水は千六百何年かにピエトロ・ベルニーニ、巨匠のベルニーニではない年上の方、が設計したもので、この水で料理したアーティチョークとズッキーニは特別の風味があると言われている

ニーノの腕時計

イタリアかスイス製のプラチナの特注品。文字盤には9の場所を除いてはルビーが埋め込まれている

ニーノ・インポーチュナ殺害の余波

ニューヨーク、ロンドン、パリ、アントワープ、ブリュッセル、チューリッヒ、ベルリン、ウィーン、カイロ、アテネ、香港、東京の株式市場に衝撃を与え、またインポーチュナ産業の資本が多量に投下されていたアフリカの南部と東部も影響を受けた。
また、死んでから三週間も経たないうちにニーノの伝記のペーパーバックが並べられ、国民教育テレビジョンでは、彼が死んだために引き起こされるであろう長期に渡る経済に対する影響について、銀行家や経済学者の座談会を放映した。
さらに、バージニアは、ジャクリーンがオナシスの妻になるまでの間、1年以上も人の口に上るような、世界中で最も多く書かれ語られる女性となった

九の男

ニューヨーク・デイリー・ニュースの記者が名付けたニーノ・インポーチュナのあだ名。ニューヨーク・ポストではこれを受けて、今回の事件を“九殺人事件”と名付け、ニューヨーク・タイムズでさえも、市内版の紹介記事ではこの言葉を使用した

ニーノ・インポーチュナを縛り続けた数字。
1899年9月9日に生まれたニーノは、9を幸運の数字とし、姓を9文字に縮めたのみならず、洗礼名のテュリオをニーノ(Nino)に変更した。これは、カイロの『数の本』からとった数字置換によるもので、9を示している。
また、ニーノが契約書や重要な書類にサインするのはその月の9日か、18日か、27日で、インポーチュナ産業で新規事業が開始されるのもまた9日、18日、27日のいずれか。その日付にするために、巨額の損が出ても、ニーノは縁起をかついでいた(ある取引では、18日から取引開始とするため、3日間を無為に過ごし、2000万ドル以上の損失が発生)。
ニーノの服、私用および業務用の便箋には頭文字のNIが付されており、さらにneに似た殴り書きがつけられていた。さらに、主題よりも冊数を重視して、9冊で一組か18冊、27冊で一組の本を購入していた。

謎のメッセージその1

9月18日消印(グランドセントラル局)のある封筒に入っていた“クラブの9”の半分。最初の警告を意味している

謎のメッセージその2

縦横4インチと5インチ8/7の安っぽい白紙に、
ONE OF NINO'S BOYHOOD PALS BECAME SUPREME COURT JUSTICE.(ニーノの少年時代の友人の一人は、最高裁判所の判事になった)(P.187)

謎のメッセージその3

“ハートの9”で、失望を意味する

謎のメッセージその4

EARLY CAREER NINO SEMIPRO SHORTSTOP BINGHAMTON NEW YORK TEAM.(ニーノは若いころ、ビンガムトン・ニューヨーク・チームのセミプロの遊撃手だった)(P.189)

↑を受けての、刑事部長リュー・B・マラワンから、クイーン警視に宛てた覚え書き

Institute investigation baseball career Nino Importuna or Tullio Importunato.(ニーノ・インポーチュナまたはテュリオ・インポーチュナートの野球選手としての経歴の調査を開始す)(P.189〜190)
これを見たクイーン警視は、9が伝染したと騒いでしまう

謎のメッセージその5

“スペードの9”で、悲しみを意味する

謎のメッセージその6

NINO'S PALM SPRINGS RANCHO HAS EXECELLENT PRIVATE GOLF COURSE.(ニーノのパーム・スプリングスの牧場には立派な自家用のゴルフコースがある)(P.191)

謎のメッセージその7

NINO GOT HAS JOLLIES CAT OF NINE TAILS WHIPPNGS.(ニーノは、九尾の猫鞭で鞭打つのを好んだ)(P.192)
エラリイは、九つの単語で文章を作成するため、cat-o'-nine-tailsという一つの複合語をわざと分解して使用していることを指摘する

謎のメッセージその8

NINO COMMISSIONED STATUES OF MUSES FOR VILLA LUGAO ITALY.(ニーノは、イタリアのルガノの別送にミューズの像を建てさせた)(P.194)

謎のメッセージその9

“クラブの9”で、最後の警告を意味する

ミスター・E

本名、エドワード・ロイド・マーケンテイラー。ニーノの秘密諜報員とでも言うべき存在で、ニーノ個人に雇われている。忙しいときでもニーノは彼との面会を決して断らない。
工学、地質学、経営学、財政学の学位を有しており、企業合併などの調査を極秘に行っていた。
仕事に際しては、ケンピンスキー、モーティマ・C・ギンズバーグなどの偽名を多数使用している

パストラミのサンドイッチとセロリのトニック

エラリイの好物で、街角のユダヤ料理のデリカテッセンで買ってきたもの

アイルランド人の不屈な頑固さを遺伝子の中に受けついでいる(P.270)

というエラリイの言葉から、クイーン一族はアイルランド系であると断定してよいだろう

備考

本稿は、早川書房文庫(昭和59年2月29日発行分)を参照にした

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