『歌う船』

The ship who sang (1969)
訳：酒匂真理子
東京創元社　創元推理文庫六八三１　 ISBN4-488-68301-0　1985/6/7、５刷

『蜜月旅行』

Honeymoon(1977)
訳：浅羽莢子
　早川書房『塔の中の姫君』所収(SF421)　昭和56年 1月31日発行

『還 る船』

The ship that returned(1999)
早川書房『ＳＦの殿堂　遥かなる地平２』所収 (SF1326)  ISBN4-15-011326-2　2000年9月30日発行 

歌う船　STORY

《歌った船》

　この世に生まれ出た彼女は、“もの”だった……彼女の両親は、彼女を殻人（シェルパーソン）と して生きさせる ことを選択した。ヘルヴァと名付けられた彼女は、三ヶ月後にチタニウム製の殻の中に納められ、脚を動かす代りに車輪を動かし、手を動かす代りに機械の伸縮 腕を巧みに操った。彼女の最初の知能検査は平均以上の結果を示し、適応指数も並外れて高かったため、将来を期待される殻人となることが予想された。
　偵察船の“頭脳”となることが決められたヘルヴァは、宇宙を航行するのに必要な知識を蓄えるのと同時に、音楽、特に歌うことを趣味として成長を続けて いった。１６になったヘルヴァは、無事に中央実験学校を卒業すると、宇宙船の中に納められ、偵察船XH-834号として着任した。試験飛行も終了し、彼女 は相棒となる筋肉（ブローン）を選ぶことになった。厳しい課題を乗り 越えた筋肉と頭脳が揃った偵察船はBBシップと呼ばれ、様々な任務が命ぜられることになるのだ。
　ジェナンと呼ばれる若者を相棒の筋肉として、JH-834と呼ばれるようになったヘルヴァは医務局のBBシップとしての任務を開始した。様々な任務を経 ている間に、彼女が歌うことを趣味としていて、どんな曲のどんなパートも一人で歌えることが知られるようになると、ヘルヴァは別の名前で呼ばれることが多 くなってきた――“歌う船”と。
　そして偵察勤務中、緊急の指令を受けたJH-834は、最近植民地にされたラヴェル星系へ向かった。太陽であるラヴェルが不安定となり、近い方の惑星ダ フニスの住民は既に疎開していた。もう一つの惑星クロエに残っている入植者の退去について、JH-834に協力が要請されたのだ。寒帯性の気候が特徴のク ロエには、敬虔な瞑想の生活を送るために移住した人々が多く、気候の変化を単なる自然現象と看做さなかったため、疎開作業は難航を極めた。最後の開拓地で ある女子修道院に着陸したヘルヴァは、疎開を渋る修道女たちをどうにかして説得したが、そのために貴重な時間が費やされてしまう。スペクトルの変化が急激 になり、熱波から逃れる時間がほとんど残されていなかった。しかも、船内は満室状態となってしまい、ジェナンは３人の修道女とともに宇宙服を着用してエア ロックに残らなければならなかった。
　可能な限り速度を上げたヘルヴァだったが、爆発したラヴェルの熱波に捕まってしまう。独立した冷房装置もなく、外装からすぐのエアロックの気温は見る見 るうちに上昇し、錯乱した修道女たちを抑えようとしたジェナンだったが、その騒動によって宇宙服の冷却装置が故障してしまう。ヘルヴァは何もできず、ジェ ナンは死んでしまった。
　任務終了後、ジェナンを埋葬するために、レグルス本部へと向かおうとしたヘルヴァに、二隻のBBシップが付き添った。付き添いのBBシップの一隻は、 ジェナンの父親を筋肉としていたことがあったMS-422だった。ジェナンの父サヒールもまた、パルシーアという惑星の防疫作業に従事していたときに亡く なったのだ。MS-422ことシルヴィアは、ヘルヴァに対して放浪船になることを唆した。しかし、ヘルヴァは放浪船となることはなかった。その時期を乗り 越えたのだ、とシルヴィアは語った。BBシップの付き添いは、不慮の事故によって筋肉を失った彼女が放浪船となることを防ぐためだったのだ。
　シルヴィアの慰めに感謝しながら、ヘルヴァはレグルス基地へ着陸し、ジェナンの亡骸が自分の船内から運び出され、埋葬するのを見守った。

《嘆いた船》

　ジェナンの葬儀が終り、“もう、二度と自分が歌う船として知られることはない”とヘルヴァが思っている間にも、新しい任務が彼女に下されようとしてい た。 彼女に乗り込んだ物理療法士メディアのシオダが手にしていた指令テープには、NDE、琴座第二星系、アニゴニ第四惑星ヴァン・ゴッホにおける宇宙病の生存 者の社会復帰計画に助力することをヘルヴァに命じていた。
　ジェナンを失った悲しみも癒えないうちに、ヘルヴァはシオダを乗せてアニゴニ目指して飛び立った。シオダは過去に惑星メディアで発生した宇宙病の経験者 であるため、それに似た宇宙病が流行しているアニゴニへと派遣されたことをヘルヴァは知った。
　ヴァン・ゴッホに到着したヘルヴァからシオダが降りると、入れ替わるかのようにレグルス基地派遣隊の上級医務官オンロが彼女に乗り込んだ。オンロの調査 によれば、現在アニゴニで流行している宇宙病は、筋力の低下と高熱が持続し、生存者はいかなる種類の筋肉活動もできなくなってしまうで、知的機能の存続に ついては不明だった。レグルス基地に状況を報告したオンロに対して、ヘルヴァは気を利かせて彼を一眠りさせることにした。
　一方、双方向通信機を持たせたシオダに接触したヘルヴァは、シオダが診断している女性がシオダの言葉にわずかに反応したことに気づいた。ヘルヴァの示唆 に従って、女性が意思を有しており、ただ筋力が極端に低下して瞼を動かすにも途方もない努力が必要なだけと知ったシオダは、全ての患者に対して物理療法を 行うことを命じた。
　ヘルヴァに戻ってきたシオダは、オンロの報告に基づいた治療方法の検討結果を聞くことができた。投薬も手術も無効だが、物理療法だけは見込みがあるとい う。シオダは、『再パタニング』で筋肉の動かし方を再び覚え込ませることによって、患者を治療することができることを確信していた。そのためには治療のモ デルケースを必要としていたが、オンロが自分の五歳の息子をそのために連れてくることにした。
　シオダによる物理療法が開始された。ヘルヴァは、慎重だが重要な治療が行われている間、シオダやオンロを呼び出そうとする外部からの通信を完全に遮断し た。休息を繰り返しながら３０時間に渡って行われた再パタニングによって、オンロの息子はわずかながら、本当にわずかながら、身体が動かせるようになり始 めていた。
　シオダがヴァン・ゴッホの医師に命じて行わせた物理療法も効果を見せており、オンロの息子もまた再び身体を動かすことができるようになったことから、病 気から生き残った人々に対する物理療法が本格的に行われることになった。その指導のため、ヴァン・ゴッホに残ることになったシオダは、メディアで宇宙病が 流行ったとき、家族全てを失って自分だけが生き残ったことの無力さと、それを忘れるために自分が物理療法士として生きてきたことをヘルヴァに語った。そし て、同じようにジェナンを失ったヘルヴァの悲しみを理解していた。
　シオダをヴァン・ゴッホに送り届けたことで任務を完了したヘルヴァは、シオダの同情に悲しみを癒され、新しい任務へと向かうのだった。

《殺した船》

　レグルス基地に帰還したヘルヴァは、ギターを抱えて乗船してきたカノープスのキラを筋肉（ブローン）と して、KH-834の名前を得ることになった。KH-834に与えられた任務は、１０万人の赤ん坊をネッカーを恒星とする星系に運ぶことだった。予想外の 太陽フレアにより、惑星住民が生殖不能となってしまった。しかも、その際に起こった不慮の停電により胎児銀行も全面的な損失を受けたのだ。KH-834は 種族維持庁(RCA)からの依頼で、ネッカー星系の住民と類似した遺伝子型を有する３０万個の受精卵のうち１０万個を各星系から集め、運ぶことになった。
　コウノトリ作戦と呼ばれる今回の任務において、ヘルヴァはその困難さもさる事ながら、おてんば娘から女王へと目まぐるしく感情を変化させる筋肉のキラに も振り回されることになった。キラ・ファレルノヴァ・ミルスキーは結婚休暇で訓練学校を離れていたのだが、その生活は２年後に夫を失ったことで終わったこ とにより、筋肉の訓練を１年ほどで止めていた。
　船内に１０万の受精卵を無事に運ぶための設備が備え付けられた後に、ヘルヴァは最初の目的地惑星タリサへ向かって離陸した。キラが就寝したあと、ヘル ヴァはキラの身上書を確認した。それによると、キラは現役の“ディラニスト”であり、儀式的自殺を禁じていない惑星への上陸が禁止されていた。
　惑星タリサから惑星ズーベへ、受精卵を収集して運搬する作業は順調に進みゆく中、ヘルヴァにはキラが抱えている事情が少しずつ分かり始めていた。キラの 手首にはリストカットの跡があり、彼女が自殺を企てるのを防止するために三年もの間彼女は一人にしてもらえなかったのだ。死にたくても死なせてもらえない という苦悩を語るキラに対して、自分もまた死にたくても死なせてもらえなかったことをヘルヴァは告げた。キラがトルンという夫を失ったのと同じように、ヘ ルヴァもまたジェナンを失っていたのだから。
　惑星メラクでの受精卵搭載を前に、惑星アリオスから不意の連絡がヘルヴァに入った。それはアリオスが１万５０００の受精卵を提供するというものだった。 アリオスには胎児銀行はないはずだったが、寄港禁止リストには掲載されておらず、中央諸世界に照会をかけて問題がなかったことから、ヘルヴァはアリオスへ と向かうことを決めた。
　今回の任務について、キラは自分がコウノトリの役を勤めることになるとは思わなかった、とヘルヴァに言った。トルンとの結婚生活の間、彼女らは自分たち の精子と卵子とを種族保存庁へ預けることをしなかったが、最初の子供を妊娠したとき子宮が破裂してしまったため、キラは二度と自分の子供を持つことができ なくなってしまったのだ。それをきっかけとして、キラは筋肉の訓練を完全に止め、医療訓練を行うことにしたのだった。
　鉱業を主産業としたアリオスは聖職者階級が強力な惑星だった。不穏な雰囲気から、ヘルヴァがBBシップであることを秘匿して、双方向通信ボタンを装備し たキラは受精卵の収集のため、アリオスに上陸した。どういうわけか、キラを迎えに来た二等当直士官ノネスもまた、〈中央諸世界〉でのみ使用される双方向通 信ボタンを備えていた。『命ずる方』、『寺院である方』がキラを呼んだと言ったノネスは、キラとの応対に満足して「お前の勝利の瞬間に死が訪れるように」 と祝福の言葉をかけた。厳しい環境が、アリオスの人々を“死が最大の祝福である”という思想に導いていたのだ。しかも、アリオスがヘルヴァを呼びつけたの は、ネッカーへの受精卵の運搬を依頼するためではなく、ヘルヴァが抱えている数万の胎児を『命ずる方』に対する罪を贖うために死なせるためだったのだ。
　それを知ったヘルヴァはエアロックを閉じると、連れ出されたキラの行方を探そうとした。キラは通信ボタンのスイッチを入れていなかったが、アリオスの聖 職者階級が双方向通信ボタンを備えているのを思い出したヘルヴァは、数十万もの通信の中からキラの行方を探し出すとともに、〈中央諸世界〉への連絡を取る ため超光速通信回線を開いた。
　キラを見つけたヘルヴァは、彼女が連れていかれようとしている寺院の正体を確かめて愕然とした。放浪船として行方知れずになっていた732号だったの だ。彼女もまた筋肉を失った船であった。この惑星に辿り着いて溶岩流に突っ込み身動きが取れなくなってしまった732号は、錯乱の末に己の伴侶を失った罪 を贖うために何千もの人を死に駆り立てているのだろうか？
　ヘルヴァは、“ディラニスト”であるかのように、死にたがっているキラに抗議するメッセージを歌で伝えるとともに、〈中央諸世界〉に連絡を取ると732 号の金属殻を開くためのリリースワードを聞き出した。ヘルヴァが伝えたリリースワードで開いた732号の金属殻に、キラが麻酔薬を流し込むことにより、 732号ことライアはその長い生涯をついに終えた。
　アリオスを脱出したヘルヴァに、キラはヘルヴァの歌（ディラン）が 聞こえてくるまでは、自分が悲しみに溺ぼれていた、と語った。あの732号と同様に、自分がトルンを失った悲しみを嘆き続けていただけだったのだ、と。
　そして、１１万の子供たちの母親となるため、ヘルヴァとキラはネッカーへ向けて航海を続けるのだった。

《劇的任務》

  ３年間に及んだキラとの“コウノトリ作戦”も無事終了し、ネッカーから通常の二倍ものボーナスも得ることができたヘルヴァだったが、新しい筋肉を得るまで はどんな任務も引き受ける気がなかった。そんな時、メタン=アンモニアの大気を持つベータ・コルヴィ第６惑星に従来知られていなかった知的生命体が存在す ることが明らかになった。信じられないほどのエネルギー輻射を自在に扱えるベータ・コルヴィ人に対して科学知識の交換を持ちかけた〈中央諸世界〉だった が、意外なことに彼らから持ち掛けられたのは芝居――演劇とエネルギー製造法との交換だった。
　新しい筋肉を得る前に、デュール第三惑星に立ち寄って四人の乗客を乗せてレグルス基地へ帰還せよ、という命令を受けたヘルヴァは、内装工事を完了させて 早速飛び立った。デュール第三惑星の大学専用宇宙港第２４ロックで彼女を待っていたのは、俳優の〈太陽（ソーラー）〉 プレイン・リストン、ダヴォ・フィラネィザー、女優のアンスラ・コルマー、そして医師のカーラ・スターだった。プレインは衰弱しており、離陸の際に対衝撃 マットレスを必要とするほどだった。デュール第三惑星を離陸したヘルヴァは、プレイン保護のために、船内の重力を軽減しなければならなかった。
　そして、彼らの人間関係は、まるで芝居のように、麗しくなかった。アンスラ・コルマーは、今回の芝居で秘かにダヴォ・フィラネィザーを主役になるように 焚き付けていたが、ダヴォはそれを呑まなかった。彼らが今回演じなければならない相手はベータ・コルヴィ人であり、彼らを前に演じる『ロミオとジュリエッ ト』の代償はあらゆる同位元素の半減期の調整に関する知識という極めて重要なものであり、なおかつ相手がプレインではなく自分ならばいっそう目立つことが できるということをアンスラが目論んでいることをダヴォが気づいていたためだった。さらに、プレインは、身体のハンディがありながらも、今回の任務に最適 の人物であるとコンピュータに推挙された人物なのだ。
　その彼は、マインドトラップという備忘薬の副作用のために骨粗鬆症のような症状を呈し、衰弱した肉体と頭脳とを苦にしていたために、今回の芝居の最中に 死を望んでいた。だが、主治医のカーラ・スターは職業と感情とからそれを許そうとはしなかった。
　レグルス基地へ向かう最中にも、今回の芝居のための稽古が無重力状態の船内で行われた。ベータ・コルヴィでも、精神をベータ・コルヴィ人の身体に転移さ せて、同様の状態で芝居を行うことになるのだ。そんな中、ふとしたことからヘルヴァが“歌う船”であり、しかもシェイクスピアの戯曲についても造詣が深い ことを知ったプレインは、彼女を稽古に参加させることにした。
　レグルス基地へ接近したヘルヴァは、軌道ステーション内の無重力室をプレインに割り当てることを中央指令室へ依頼した。中央指令室は今回のベータ・コル ヴィ行き任務をヘルヴァに示唆したが、彼女はそれを受け入れようとしなかった。軌道ステーションへプレインとカーラとを降ろしたヘルヴァは、レグルス基地 へ着陸した。基地に着陸していたBBシップは、皆今回の任務を志願しているようだったが、ヘルヴァは新しい筋肉を手に入れることだけを考えていた。
　その時、ヘルヴァの調整連絡官ナイアル・パロランが彼女に乗り込んできた。パロランは、ベータ・コルヴィ行をヘルヴァに薦めにきたのだ。ヘルヴァのチタ ニウム殻には既に補助導線が取り付けられているため、今回の任務に必要なシナプス連結を容易に行うことができる上に、彼女がシェイクスピアをよく知ってい るためだ。だが、ヘルヴァは、三倍のボーナスに、生涯無料修理券がついたとしても、パロランの言葉に従うつもりはなかった。
　だが、新しい筋肉候補生の一団を迎えていたヘルヴァの元に、カーラ・スターが訪れた。カーラは、今回の任務についてプレインが彼女を指名したのに、ヘル ヴァが依頼を断ったのはコルマーの横槍だと思い込んでいた。しかし、それがヘルヴァ自身の意思であることを知ると、プレイン最後の芝居のために彼女の助力 を求めた。アンスラ・コルマーが最高のジュリエットであると考えていたプレインだが、コルマー自身は彼の意図を一向に汲もうとはせず、今回の芝居を破滅さ せようとしていた。プレイン最後の公演を無事に成功させるために、ヘルヴァはベータ・コルヴィ行を決意した。
　今回の任務の筋肉として、引退していたが古典演劇に詳しいことで知られていたマラクのチャドレス・トゥロが選ばれ、任務指令テープを彼女に持ち込んだ。 時間制限のある精神転移を行うことによって、ベータ・コルヴィ第６惑星上でシェイクスピアを演じることにより、極めて半減期の短い超ウラン元素の同位元素 の安定化技術を手に入れる劇的任務が、こうして開始されることになる。
　劇団員を乗せるための改装、それよりも重要な精神転移装置の制御装置をヘルヴァの殻に接続する手術が終了した後、今回の芝居を行う俳優一行を乗せ、ヘル ヴァはレグルス基地を飛び立った。軌道ステーションでプレインを迎え入れた後、ヘルヴァはベータ・コルヴィへ針路を取った。
　船内を無重力状態にした後、早速稽古が開始された。自由落下状態に慣れるためであるが、故意か過失か、コルマーはそれに慣れようとはしなかった。重力の 軛から逃れて衰弱した肉体のことを忘れることができたプレインだったが、記憶力の減退というマインドトラップの副作用と、コルマーのサボタージュが彼を苦 しませた。それに対して、プレインとダヴォが取った対策は、稽古での役柄の総入れ替えだった。しかも、ジュリエットをコルマーからカーラへと変更したの だ。愛し合う二人が行う『ロミオとジュリエット』は、それまでの芝居とは全く出来が違うものだった。
　ヘルヴァがベータ・コルヴィへ到着すると、劇団員一行とヘルヴァ、チャドレスとは、精神転移装置によってベータ・コルヴィ第６惑星へと“降り立った”。 肉体的な感覚を初めて感じて戸惑う間もなく、ヘルヴァはプレインが主催する稽古へと参加することになった。タイムスイッチによって最初の稽古から帰還した 後、自分の船体を調べたヘルヴァは、ベータ・コルヴィ人によって機関を無力化させられたことに気がついた。
　どうにか稽古は進み、『ロミオとジュリエット』の初日公演が行われた。結果は大成功だったが、その熱狂を文字どおり肌で感じたためか、一堂は再度ベー タ・コルヴィへと向かう気力を失っていた。だが、エンジンを動かすことができないため、ここを離れることはできない。ヘルヴァが代表として、公演の延期を 求めるよう、ベータ・コルヴィへ降りていった。今回の公演を引き受けたベータ・コルヴィ人のマネージャは、『ロミオとジュリエット』を自分たちが行えるた めの指導を条件として、ヘルヴァに取引を持ちかけてきた。しかも、その取引相手としてアンスラ・コルマーを指名してきたのだ。
　だが、コルマーはそれを拒んだ。絶望しかけたプレインだったが、一度公演を行った『ロミオとジュリエット』についてはベータ・コルヴィ人へ与えても問題 がないこと、『ロミオをジュリエット』を完全に暗記しているのはプレインだけではないこと、そして取引の目的が公演ではなく稽古であることから、任務は継 続されることが決まった。変更されたのは、ジュリエット役をコルマーではなく、カーラが行うことだけだった。一堂がベータ・コルヴィへ降りている間、ヘル ヴァはコルマーを眠らせておくことにした。
　ベータ・コルヴィ人への稽古は順調に進み、最後の稽古を終えてヘルヴァが“戻って”きたとき目にしたのは、プレインとカーラの精神転移装置を壊そうとし ていたコルマーだった。緊急帰還処理を行ったヘルヴァは、チャドレスもまた“戻って”きていないことに気づいた。３人を連れ戻そうとベータ・コルヴィへ降 り立ったヘルヴァだったが、逆に３人にここに残るように勧誘される。恐怖を感じて戻ってきたヘルヴァは、コルマーがベータ・コルヴィへと追放されたことを 知った。
　 レグルス基地へ戻ってきたヘルヴァは、これまでの体験と当局専門家の質問責めから疲労困憊して（通常、殻人（シェ ルピープル）は疲労を感じないものだが）いた。ヘルヴァの元へやってきたパロランは、彼女の監督官として調査 の対象とされたことから避難するために、彼女の船内に入ったのだ。パロランは今回の任務の成功で、彼女がじきに清算できることを告げた。彼女が自分の肉体 を金属殻の中に入れたことについての経費を精算できれば、ヘルヴァは晴れて自由の身となって仕事を選ぶことができるのだ。それから、パロランは精神を失っ た肉体のうち、いずれかに入ることをヘルヴァに勧めたが、ヘルヴァはそれを断った。
　そして、〈中央諸世界〉のため、さらには彼女のためになるならば、どんな任務でも引き受けさせるつもりだ、というパロランのリクエストに対して、ヘル ヴァはどういうわけか歌を歌いたくなったのだった。

《あざむいた船》

　アクシオンのテロンを新しい筋肉に選んだヘルヴァだったが、これは彼女自身の選択であったにも関わらず、大失敗だったことがすぐに明らかになった。テロ ンは４隻もの頭脳船（ブレインシップ）が謎の失踪を遂げたことについ て触れ、「それ故に船は信用できない」とヘルヴァに語るような男だった。
　今回の任務が終了次第、ヘルヴァはテロンとの関係を解消することを心に決め、タニア・ボレアリスの第４惑星ダレルに着陸した。目的である薬品を引き渡す と、外交儀礼の奴隷であるテロンは、受領に来た健康局長官ブラントの見送りに船外に出るはずだったので、ヘルヴァはその隙に筋肉交換を《中央指令室》へ連 絡するため、超光速通信の回線を開いた。と、その時、アンティオレイスのジクソンを名乗る者がヘルヴァへの乗船許可を求めてきたことが管制塔から連絡され た。ヘルヴァは断ったが、規則を守ることだけが取り柄のテロンは管制塔からの正式な通知だったことから、ジクソン一行の乗船を許してしまう。
　船内に入ったジクソン一行は、突然ヘルヴァの金属殻のリリースワードを唱え、彼女を昏睡させた。テロンは殴り倒され、船はジクソン一行にハイジャックさ れてしまった。ヘルヴァは金属殻と船とのシナプス結合を解かれ、感覚を完全に失ってしまっていた。そんな中で自意識を保つため、ヘルヴァは、失踪した４隻 が自分と同じ目に遭ったものとして、彼らが運んでいた積荷について考え始めた。共通していたのは、彼らが運んでいたもの、あるいは運ぼうとしていたものが 向精神性を有する薬品、あるいはその原料だった。
　無感覚に苦しむヘルヴァは、突然“目”と“耳”が回復したことに気がついた。ジクソンが彼女の一部の機能を回復したのだ。ヘルヴァが“歌う船”であるこ とを知ったジクソンは、積荷を奪うとともに彼女を自分のコレクションの一つにしようと考えていた。だが、ヘルヴァの積荷にジクソンが必要としている薬品は 含まれていなかった。
　聴覚から、ジクソンたちがいるのが天然の洞窟の中であることに気づいたヘルヴァは、ジクソンにせがまれて小網座（レ ティクル）の俗謡を歌っているとき、超音波を洞窟内に反響させることで、ジクソン一行を殺して、この苦境を脱 することに成功した。そして、ハイジャックされたとき、超光速通信回線を開いたままだったことにより、ヘルヴァたちが閉じ込められていた場所も時間がか かったものの判明し、彼女たちは救われた。
　今後このようなことがないように、リリースワードの管理は厳重に行われ、ヘルヴァが納められている金属殻には独立した感覚器が備えられることになった。 ヘルヴァは、このような危機を迎えてもまだ独善的なままのテロンを追い払った。
　そして、テロンを解約した罰金を払っても、今回の事件を解決した報奨金で、彼女は自由を得られることができるはずだった。

《伴侶を得た船》

　負債を完済したヘルヴァは、一路レグルス基地へと向かっていた。これまでとは違って、ヘルヴァは誰を筋肉に選んでもよいことになるのだが、さてそのよう な立場になってみると適切な筋肉を選ぶことは実際には困難なことだった。彼女を“船”ではなく、一人の人間として見てくれる人物を、ヘルヴァは筋肉とした かったのだが、彼女が知る限りその様な人間はナイアル・パロランしかいなかった。かつてはジェナンという人物がいたのだが……今は、彼はレグルス基地の一 角で眠っているのだ。彼のことを思い出したとき、ヘルヴァは彼と馬の首星雲のことを話題に出したことを合わせて思い起こした。彼女の原子炉は最新のもの だったが、超ウラン元素の半減期が短すぎるために、超光速を連続して維持することができないのだ。
　帰還する最中、シルヴィアに遭遇したヘルヴァは、彼女から困ったことがあったら〈ミュータント監視団〉（MM）か〈知 的少数派の権利を守る会〉（SPRIM）を呼ぶこと、基地へ戻る前にヘルヴァと契 約をしたがっている民間企業との連絡をつけるために殻人のブローリーに連絡することを勧められた。
　レグルス基地へ帰還した彼女を待っていたのは、公式の歓迎委員会とは思えない人々だった。パロランと基地司令官のレイリーはともかく、ブリスロー工学担 当長官とドブリノン対異星人交渉担当提督がヘルヴァに乗り込んできたのだ。
　レイリー司令官は、ボレアリスでのヘルヴァの活躍について賛辞を与え、彼女の“清算”がまず間違いなく完了することから彼女が自由契約船となるはずであ るが、その支払いが完了しないうちはまだレグルス基地に所属していることになるとして、彼女に依頼したい新しい任務の話を行った。
　テロンとともに行わせたかったその任務は、再度のベータ・コルヴィ行きであった。ベータ・コルヴィの任務でヘルヴァ一行が入手することに成功した不安定 同位元素の安定法を利用した超光速機関は、これまでの常識を遥かに打ち破る驚異的な高性能を発揮することが明らかになった。しかし、ＣＶ（周 期変量）エネルギー源と呼 ばれるそれを搭載した実験船は、９年かけなければ戻ってこられない宙域まで一瞬にして移動してしまうという結果になった。従って、ＣＶ駆動を実用化するた めには、宇宙の一角を破壊しかねない危険を排除するＣＶ制御方法をベータ・コルヴィ人から教授してもらう必要があった。そこで、レイリー司令官としては、 ヘルヴァにＣＶ機関を搭載した上で、再度のベータ・コルヴィ訪問を行わせるつもりだったのだ。
　現在の契約ならば、自由契約船となってから契約するよりもＣＶ機関を安価に搭載できることを確認したヘルヴァは、いくつかの条件をつけて、この任務を遂 行する意思を示した。ＣＶ機関の有効性が確認されるまでは今回の契約が無効であること、ベータ・コルヴィに移住した人間の移住者との接触が成功しなかった 場合にもペナルティはつけないこと、自分が選んだ筋肉を今回の任務に同伴すること、そしてＣＶ機関が有効であれば賃金表を高速船のものとして更新すること だった。
　これらの条件を〈中央諸世界〉が呑むことを確認したヘルヴァは、今回の任務の筋肉としてナイアル・パロランを指名した。意外にも、パロランはこの指名に 猛烈に反抗した。パロランは、ヘルヴァが清算に有利な任務を割り当てていたにも関わらず、いざ彼女の清算が済みそうになるとその事実に耐えられず、今回の 任務を“釣餌”として彼女の前にぶら下げたことを語り、ヘルヴァの外見を知るために染色体外挿図を作成し、彼女の殻を開くためのリリースワードまで知って いる、と自分が彼女に執着していることを告白した。
　だが、今自分の殻を開こうとはしなかった、ならば今後もしない、というヘルヴァの言葉を聞いたパロランは、ヘルヴァの船内から駆け出してしまった。
　一人取り残されたヘルヴァの元に、殻人のブローリーから連絡が入った。民間企業とヘルヴァとの契約を仲介できず悔しがるブローリーを焚き付けて、ヘル ヴァはパロランの現在位置について聞き出すことにした。ブローリーに拠れば、パロランは派手な交通事故を起こすほどの乱暴な運転をした挙げ句に、歓楽街で 大散財をし、さらに買い貯めていた古美術品を一切合切売り払ったという。しかも、パロランは、レイリー司令官の元に、監督官を辞するための辞表を送ってい て、さらに行方をくらませてしまう。
　パロランがヘルヴァの筋肉になってベータ・コルヴィへ行くのでなければ今回の契約延長は白紙になり、ヘルヴァは自由の身となる。パロランはそれを意図し たのだろうか？　だが、そんなことを許すつもりがないレイリー司令官はパロランの捜索を開始した。
　一方、ヘルヴァによって呼ばれた〈ミュータント監視団〉（MM）の ロッコと〈知 的少数派の権利を守る会〉（SPRIM）のキャプテン・アミキングは、 彼女の着陸台の付近に不当に人員が配置されていることを指摘し、彼女の移動の自由を確保した。その上で、筋肉が行方不明になってしまったために、今回の契 約延長は無効であることを抗議し、ヘルヴァが新しい筋肉に関わる条件を提示しようとしたその時、パロランが姿を現した。パロランは、なんとヘルヴァの船内 にいたのだ。
　レイリー司令官とのやり取りを経て、正式に筋肉として今回の任務を行うことになったパロランに対して、自分たちならばこれから起こるであろうどんな試練 も乗り越えていける、とヘルヴァは確信した。

『蜜月旅行』 story

　ＣＶ機関を搭載するための改装が行われている中、〈ミュータント監視団〉（MM）の ロッコがヘルヴァの元を訪れた。前回のパロランを筋肉にするときの騒ぎを覚えているロッコは、今回の契約延長がヘルヴァにとって分が悪いことを指摘しに来 たのだ。ＣＶ機関の確認をベータ・コルヴィにしてもらう必要があるのだが、果たしてそれが上手く行くのかどうか、またＣＶ機関による推進時に排出される正 体不明の微粒子が通信機器を混乱させ、星間航行機器を狂わせるという問題も残っていた。
　ヘルヴァはその点について心配はしていなかったのだが、ロッコは彼女にそのような任務を与える〈中央諸世界〉に憤っていた。しかしながら、ロッコもま た、ヘルヴァに対して、ベータ・コルヴィに残った４人の地球人が安楽に暮らしているかどうかの調査を依頼しなければならない立場にいるのだった。
　そして、ロッコはパロランがパートナーである殻人、すなわちヘルヴァに執着していることを憂慮していた。この点についても、ヘルヴァは心配していなかっ たのだが……。
　パロランは、今回の任務を成功させるために、基地の各技術部門に対して様々な圧力をかけていたことをレイリー司令官に警告されるが、本人はそんなことを 気にも止めていなかった。ヘルヴァの船殻に対する耐熱融解防止セラミックコーティングの作業は遅れ気味だったが、電装系の整備については終了したことを讃 えて、技術者を交えてのパーティがパロラン主催でヘルヴァの船内で催された。パーティの席で、招待客の画商ペルムート、ダンサーのアブーと話し合う機会を もったヘルヴァは、ペルムートとアブーが味覚や臭覚について話すことを聞いて、自分が五感を備えていないことを改めて残念に思った。
　パーティの席にダヴォ・フィラネイザーが現れ、パーティが退けた後、強くではないが、ヘルヴァのベータ・コルヴィ行を反対した。彼女がベータ・コルヴィ 人になってしまうことを危惧したのと、ＣＶ機関を搭載した債務の返済が困難であろうということからであったが、ヘルヴァはそれについて自分が分のいい賭け をしていることをダヴォに告げた。
　改装が完了したヘルヴァは、パロランとともに、通常航行でベータ・コルヴィへと飛び立った。本当の意味で二人きりになったヘルヴァは、パロランが寝付い た後、性欲旺盛なパロランの自分に対する執着のことを思い起こしたが、それよりも自分の性的な好奇心の方に心乱されたヘルヴァは、琴座-IVの儀式的な昆 虫舞踏を試聴して心を落ち着かせるのだった。
　ベータ・コルヴィへ到着したヘルヴァは、パロランとともにベータ・コルヴィ人の元へ精神転移を行った。自分と同じ“肉体”を有するヘルヴァを見て歓喜す るパロランだったが、ヘルヴァの前に再び姿を現した“マネージャー”にその喜びに基づくエネルギー放射を抑制された。パロランと同じように自分を押さえ込 んだヘルヴァは、ＣＶ機関の問題点について“マネージャー”に相談した。ＣＶ機関の問題については解決し、排出物であるキュイ素粒子を抑制する物質を併用 しなければ懲罰措置が取られることになった。
　だが、パロランとヘルヴァの感情の問題については解決しなかった。自分と同じ肉体を持っているヘルヴァに触れたいという欲望をパロランは隠すことができ ず、ベータ・コルヴィ人の肉体で、彼と彼女は接触した。その途端に、興奮の波が押し寄せ――気がついたときには、ヘルヴァとパロランは船に戻っていた。
　あれから三日が経ち、ＣＶ推進によってベータ・コルヴィからはかなり離れた距離にいたヘルヴァは、ベータ・コルヴィ人によってＣＶ機関に改変が行われて いるのを確かめた。これにより、ヘルヴァは安定してＣＶ機関による航行を行うことが可能になった。
　それよりもなによりも、ベータ・コルヴィで触れ合ったためなのか、ヘルヴァはパロランの五感を共有していた。名実共に一体となった彼らは、自分たちを自 由の身にするために、レグルスへ帰還するのだった。　

感想：

　本作を初めて読む前……もう２０年以上も前になるわけだが、その前に雑誌『ファンロード』のハシラコーナーだったと思うのだが、「ＳＦを読んでいたら、 『それ怖いもんじゃない？』と聞かれて驚いた」というのを目にして、まぁさかぁ〜と思っていたのだが、旅行先のオーストラリアで本作を読んでいるときに、 ホテルで同室になった人に「それ、怖い作品やあれへん？」と聞かれたのは実際驚いた。
　『歌う船』の思い出というと、まずここから始まってしまう妙な印象を覚えていたりするのだが、もちろん作品を読んだときの印象もまた強いものが残ってい る。一番印象的なのは、“仮面ライダー幻想”とでも言うべきものが完全に粉砕されたことであろうか。

　仮面ライダーではなく、サイボーグ００９でもいいのだが、要するにサイボーグな人たちが、『おれは人間じゃないんだ』と言って苦悩する展開に、一時期頭 を埋め尽くされていた時期があったことを、筆者は否定することはできなかったりする。本作を読もうとしていたちょうどこの時期、原点回帰を謳った『仮面ラ イダーBlack』が放映されていたことも影響していたかもしれない。この『おれは人間じゃないんだ』展開そのものは、平成に入ってからの《仮面ライ ダー》シリーズでは、主役側ではほとんど取り扱われることはなくなっているが（『仮面ライダーアギト』で、葦原涼がギルスになったことで孤独を感じる展開 とか、『仮面ライダー５５５』で、オルフェノクになってしまった木場が序盤に悩むくらいだろうか？　ただ、この二人の場合、文字どおり人間ではなくなって いる感があったりするので、本作に関わる要因としては異なる部分があるような気がする）、今でも『仮面ライダーSpirits』でそういうことが語られた りするので、まったく過去のものでもないということになる。
　サイボーグな人たちが『おれは人間じゃないんだ』と苦悩するのは、ひとえにその肉体が天然のものではなく、人工的なものに置換され、場合によっては通常 の人間以上の能力を発揮してしまうことにある。典型的な例では、仮面ライダーの序盤で、本郷猛が水を呑もうとして蛇口をひねろうとするとそれがもげてしま うという描写によって、本郷猛は自分が改造人間にされてしまったことを知ってしまう、というケースであろう。
　でもって、筆者は最初の仮面ライダーが直撃した世代なので、藤岡弘、氏が演じていたストイックな容貌で苦悩の表情を浮かべる本郷猛が心に染みついて、改 造人間にされてしまった悲しみを怒りに変えて戦う仮面ライダーの格好良さにいかれていたわけである。
　もちろん、これ以外にもいろいろとサイボーグの悲哀を描いた作品は多く、平井和正の『サイボーグ・ブルース』という小説もあるし、サイボーグ００９にし ても００ナンバーたちが一団となっているのはブラックゴーストと戦うということもさる事ながら、自分たちと同じような境遇（サイボーグであること）の人間 が他にはいないこともある、という描写もあったりする。
　そういうマンガやら特撮やらアニメやら小説やらの影響で、筆者は“仮面ライダー幻想”として『サイボーグ＝「おれは人間じゃない」＝不幸』という観念を 青春の一 時期に間違いなく有していたわけである。

　そういう幻想を、本作は打ち砕いた。
　ヘルヴァは生まれたときは、“もの”あつかいされるような存在であり、延命のためにはチタニウムでできた殻の中に納められなければならず、以降その肉体 は（実体としては存在するが）実態としては存在せず、宇宙船であったり、宇宙ステーションであったり、あるいは都市そのものだったりするわけだから、サイ ボーグとしてみると人の身体形状を全く有していない。というか、別の見方をすれば、ヘルヴァことXH-834は『サイボーグ００９』に出てきた００１１ （巨大蜘蛛に似た機械の身体を与えられたサイボーグ）みたいなものであるし、本作に登場するブローリーや、『戦う都市』に登場するシメオンなどは、やはり 『サイボーグ００９』に出てくる００１２（大邸宅）の規模の大きなものである。
　であるにも関わらず、本作に登場するヘルヴァは、音楽が好きで歌を歌うことを趣味として、愛した男を失ったことを嘆き悲しむ一人の女性なのである。もち ろん、ヘルヴァは普通の人間が普通に行えることのいくつかは行うことができないが、それ以上の能力を有している。歌を歌うことについては、どんな声域でも 出すことができることを自慢しているし、移動することについては自分の思うがままに、特殊装備を備えることなく大気圏に突入し、あるいは大気圏を容易に離 脱して宇宙を飛び回ることができる。このように、通常の人間以上の能力を発揮する彼女は、そのことを嘆いたり悲しんだりせず、むしろこの能力を奪われるこ とこそを恐れている。「おれは人間じゃないんだ」等と言っているサイボーグな人々の領域を、ヘルヴァは軽く乗り越えている。
  ここまで考えたときに、ようやく「おれは人間じゃないんだ」と悲しむサイボーグの人たちのほとんどが、自ら望んだのではないその状態を悲しんでいることに 気づいたのである。あれは、悪の秘密結社によって、人間としての尊厳を奪われたことを悲しんでいるのだ、と。であれば、延命のための措置であれば、変な悲 しみを抱く必要はないわけだし、そもそもそんな感想を抱くことが間違っている。
　かくして筆者の“仮面ライダー幻想”は粉砕されたのだが、それでも、この問題はやはりデリケートであって、『旅立つ船』では主人公であるヒュパティアが この問題を乗り越えることができるかどうかというのが、彼女の問題を解決する際の焦点の一つとなっていたりする。

　本作に関わる感想というと、やはりどうしても上記について触れなければならないため、方向が少々へんな方へ向かってしまった。
　本作自身の感想としては、マキャフリイ自身が本作を書くきっかけとなったのが実父の死であることを語っているように、“喪失感とそこからの回復”を主題 にしているということを、何度目かの再読で改めて感じた。“喪失感”というと、先に書いた人間としてのアイデンティティの喪失なんて言葉が連想されてしま うかもしれないが、そうではなくて本当に普通の人間の感情としての喪失感というやつである（そもそも、ヘルヴァはＢＢシップとなったのだから、先の話的に 言えば“失った”のではなく“得た”のである）。
　最初の筋肉ジェナンを得てそして失った話が本作の冒頭であり、その悲しみも癒えぬうちにヘルヴァは、シオダ、キラと言った自分の大切な人を失った人と一 緒に仕事をしていくことになる。大事な人を失っても生きていくことができることを知ったヘルヴァがじょじょに癒されてゆくその過程がとても麗しい。失った ことを忘れていく諦念というものではなく、失った悲しみを癒そうとする人々が見せる行動が麗しいのである。もちろん、言い方を変えれば、それは“逃避”と いうものであるかもしれないが、しかし失った悲しみに囚われて何もしないよりは遥かにましなのではないだろうか。
　シオダは家人を救えなかったことから物理療法士として生き、キラは子供を産むことができなくなったとしても、〈コウノトリ作戦〉の激務を引き受けた。そ の姿勢にヘルヴァは心を打たれ、読む方もまた心が動かされるのだ。
　こうして読み進めていくうちに、読者の多くはヘルヴァの外見のことを忘れていく人がほとんどだろう。《劇的任務》や《あざむいた船》等で、ヘルヴァがチ タニウムの金属殻の中に納められていることが繰り返し指摘されたとしても、そうであったとしても、彼女が人間以外の何者でもないことは明らかなのだから。

　そして、ヘルヴァはついに求めていた伴侶を手にするというハッピーエンドを迎え、ハネムーンに出発して新しい絆と新しい能力を手に入れることになる。
　そのような彼女の成熟について語ることが、本作に関わる完全な感想となるはずなのだが、最後の作品である『還る船』は、他作品のネタばれが激しいので、 それ以降の話に関わる感想は、また後日である。

特記事項：

  • 殻人

    • 　生まれてきた子供が重度の障害児であって、義務づけられている脳波計テストに合格した場合、両親は子供を安楽死させるか、あるいは殻人として成長させる という選択肢が生じる。
    　赤児は、脳下垂体手術を受けることにより、肉体的な成長が停止させられるので、成長に合わせてチタニウム製の金属殻を変更する必要はない。すなわち、誤 解されることもあるが、殻人は生まれたときに与えられた肉体のまま金属殻に納められているのであって、脳が摘出されて金属殻に納まっているということでは ない。ヘルヴァの場合、体重は２２キロである。
    　殻人の寿命は、一般人の寿命よりも遥かに長く、数世紀に及ぶこともある。ヘルヴァは３２２歳の殻人と話したことがある。
    　ヘルヴァの場合、宇宙船の管理を行う適正が認められたことから、軌道、推進法、計算、記号論理学、精神衛生学、基礎異星人心理学、言語学、宇宙史、法 律、交通運輸、信号法等を学び、芸術（特に音楽）を趣味として育てられた。その際、殻心理学（シェルサイコロジー）と 呼ばれる殻人特有の心理学による刷り込みなどが行われる。
    　ヘルヴァの場合、１６歳のときに訓練学校を卒業して、一人前の宇宙船となった。

  • ヘルヴァの音楽

    • 　ヘルヴァがとった音楽鑑賞のコースでは、
    トリスタンとイゾルデ
    カンディード
    オクラホマ
    フィガロの結婚
    等のクラッシック、
    ビルギット・ニルソン
    ボブ・ディラン
    ジェラルディン・トッド
    等の原子力時代の歌手たち、
    金星人の奇妙なリズムの進行
    カペラ人の目に見える半音階
    アルタイル人の音響演奏会
    レティクル人の低唱
    等も含まれていた。
    　なお、レティクル人の低唱は、《あざむいた船》で、彼女の命を救うきっかけとなった

  • 頭脳船

    • 　ＢＢシップとも称される。
    　調理室、与圧貯蔵室を備え、船首にトイレがある。調理室には、覚醒剤Ｋの静脈用スプレーが常備
    　船体の回転を制御することで、船内重力の調整が可能　

  • こんなイ音と引き替えなら、カルーソーは残りの音を全て出せなく なっても惜しくはなかったろう(P.21)

    • 　ヘルヴァが出したテノールの声に対して、ジェナンがかけた言葉。これをきっかけにして、ヘルヴァはジェナンを最初の筋肉として選ぶことになる。
    　カルーソーとは、おそらくエ ンリコ・カルーソーのこと 

  • 本物のコーヒーはあるかね？(P.53)

    • 　ヘルヴァの船内に入ったオンロが最初に発した言葉。
    　〈中央諸世界〉では極めつけの嗜好品であるらしい。
    　缶コーヒー形式であるが、ユニークなのは抽出された熱いコーヒーをそのまま保温缶に入れていることである。
    　ヘルヴァは、在庫品目録に指示されている三倍の量のコーヒーを格納している
    　一番いい豆はアルペカ星区のイポメナで取れる。
    　余談ではあるが、《パーンの竜騎士》シリーズでは、コーヒーは地球以外の惑星ではどういうわけか育たなかったため、パーンの嗜好品はクラになった

  • ディラニスト

    • 　社会の解説者であり、抗議者であって、音楽を武器として刺戟として使う行動主義者の総称。
    　語源は、おそらくボ ブ・ディランから 

  • 上陸禁止、および接近禁止星系

    • 　精神的な状態から、キラは、
    ラス・アルゴシ
    ラス・アルハゲ
    サベク
    への上陸が禁止された。
    　また、
    ペガサス座セクターの恒星バハムとホーマンの惑星
    エリダヌス座セクターの恒星ビードとキードの惑星
    には接近してはならないことがヘルヴァに対して指示された。
    　これらの惑星、星系は、儀式的な自殺が禁止されていないためである

  • 『ロヴォロドラスの第２のチェレスタ組曲』のテーマ

    • 　一時期、ヘルヴァの脳裏から離れなかった音楽

  • 732号のリリースワード

    • 　ナ-ソム-テ-アー-ロー。
    　音階があるので、ただ唱えるだけでは効力がない

  • マインドトラップ

    • 　記憶力を補助する薬物。
    　通常は無害なのだが、長期（７０年以上）使用した場合、含有シリコンの残留物が排出されず、組織に蓄積するという問題が生じる。
    　プレイン・リストンの場合、利尿薬がマインドトラップの残留物と化合してしまい、カリウムを漉取るという治療不可能な作用をもたらした

  • メンカライト

    • 　100ccのアンプル一瓶で、惑星全域の水を有毒にして、その住民を精神のない奴隷にすることができる。
    　しかし、多量の蛋白懸濁液に一粒この薬を入れると、いくつもの星系において悪疫を防止するワクチンを製造できる

  • トゥカナイト

    • 　幻覚剤化合物で、外界に対する知覚と意識を高めることができるので、緊張病と自閉症の患者の心理療法には不可欠な薬剤 

  • ミルファク

    • 　ベータ・コルヴィで入手したＣＶ機関によるFTL駆動が実現した場合、レグルスを発して二標準日でこの惑星に到着することができる。
    　従来航法では４週間かかっていた

  • ヘルヴァの契約候補

    • 　ヘルヴァが自由契約になった場合に備えて、殻人のブローリーが確保していた契約候補は、二つの惑星と４つの産業複合体 

  • ６０万クレジット

    • 　ベータ・コルヴィ人から入手したＣＶ機関を搭載するためにヘルヴァに行われた改装の総費用

  • アスーラ人

    • 　立体造形に特異な才能を示す異星人。
    　パロランは、アスーラ人に依頼して、一財産かけてヘルヴァの立体造形を作成してもらった

  • キュイ素粒子

    • 　ＣＶ航法を実行した際の排出物。
    　星系に悪影響を与えるらしく、ベータ・コルヴィ人はキュイ素粒子を測定することで、銀河に対して〈中央諸世界〉が悪影響を与えた場合、ＣＶ機関の使用を 禁じることにしていた
     

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