シマックの作品の中で、もっとも宗教のあり方に肉薄した作品、それはおそらくこの『なぜ天国から呼び戻すのか』でしょう。
　『再生の時』のレビューで引用したシマックの言葉の中に“（このような未成熟な知性よりもすぐれた存続力をもつ異種族に、宇宙の完璧な把握を期待するのが）神秘主義であるならば、いかにも私は神秘家である”という一節がありました。
　ここで、人類の知性が未成熟だとしたら、何が人類の知性よりも優れているのでしょうか？　まだ見ぬ未知の生命体の知性でしょうか、それとも人類が持っているにもかかわらず見捨てられかけているもののことでしょうか？　それとも今の私たちにはまるで予想もできない（無論シマック自身も予想できない）全く未知の“何か”なのでしょうか？
　ここで、私たちが今有しているもの、すなわち“宗教”が私たちの知性を越えた存続力を持っているだろうか……という意図からシマックが書き上げたであろう作品が、この『なぜ天国から呼び戻すのか？』です。
　宗教をモチーフにした作品と言えば、“出エジプト記”を題材にとった『宇宙空母ギャラクティカ』（ちょうどやっていたもので(^^;）や、ムアコックの『この人を見よ』などがありますが、『なぜ天国から呼び戻すのか？』はそれらの作品とは傾向が異なり、宗教の存在価値について真っ正面から体当たりしようとしているところが、不器用ながらいかにも誠実なシマックの作品らしい一品です。

　この本を手に入れるのが一番苦労しました。なんとなく探しているうちに見つかった他の作品と違い、このハヤカワ・ポケットＳＦシリーズ版のこの作品の探索には足掛け４年かかりましたから。神保町のとある古書店に１冊だけあったこれを見かけたときほど、素早く手が動いたことはなかったかもしれません。
　こういうとき、少女マンガだと同時に美少女が手を伸ばしていて、それが恋のきっかけに……というシチュエーションがありますが、この時そういうことが起こったとしても、この作品を手に入れることしか頭になかった私はそんなことはかまいもしなかったでしょう。どちらが高値で買い取るかその場でセリをおっぱじめるか、「ガンダムファイト！　Ｒｅａｄｙ Ｇｏ！」になるか、どちらかだったでしょうね(^^;)。
 

　救急隊員フランク・チャップマンは、救急車の故障という不手際のため、遺体回収に失敗した罪を問われ、死亡時の遺体保存の権利を取り消されてしまった。
　死亡時の遺体保存――そう今のこの世界では死亡時に遺体を冷凍保存されるか、あるいは本人が望んで冷凍睡眠に入ることにより、未来へ人生を先送りすることができるのだ。そして、未来には、進んだ医学によって不治の病も老衰さえも克服された“永遠の不死”が待っているはずなのだ！
　その、“永遠の不死”を与えてくれるはずの未来に備えて、人々は貯蓄や骨董品、工芸品、美術品、土地などを買い漁る財テクに精を出していた。冷凍睡眠している間にそれらは莫大な価値を生み出すに違いないが、それらを手に入れるために人々は一切の娯楽、金をむだ使いするようなことはせず、沈滞した生活を送っていた。また、死んだ直後に冷凍保存されなければ未来に目覚めることはできず、著しい肉体の損傷も未来での“永遠の不死”を損ねることから、危険なスポーツもまた完全に廃止され、それを行う人は一人もいなくなっていた。
　そして、冷凍保存されている人々の財産の管理や冷凍されている人々が目覚めた後のケアを用意し、力を失いつつある政府に代わって今の世界の運営を行っていたのが〈永遠センター〉であった。
　ダニエル・フロストはこの〈永遠センター〉のＰＲ局長であり、彼も出席しなければならない早朝会議が開催されようとしていた。この会議の席で投資先が〈永遠センター〉の債券ではなく切手やコインなどに向けられていること、“聖者”と呼ばれる人々が〈永遠センター〉の活動に対して抗議をしていることなどが議題に挙げられたが、なんと言っても重要なことは物理学者モナ・キャンベルの失踪だった。彼女は、“永遠の不死”を得た人々の生活空間を確保するための時間旅行、つまり過去へ人々を送り込むことにより生活空間を確保するための研究をしており、それは完成に近づきつつあった、と考えられていたのだ。だが、彼女がいなくなれば時間旅行は不可能になり……地上は“永遠の不死”を得た人々であふれてしまうだろう。
　――隠者であろうと必死に勤めていたオグデン・ラッセルは、隠遁先の砂州に突き刺していたはずの十字架が倒れているのを見つけた。これで何度目だろうか？――
　会議の席で、諜報担当のマーカス・アプルトンと一揉めしたことを不審に思ったフロストだったが、財務担当のピーター・レインとアプルトンとの間に送られるはずだった、彼にとっては何の意味も持たない数字の羅列が書かれた機密書類が誤って自分の元に送られてきたことが原因だったことに気がついた。それから自分の子飼いの情報屋と接触したフロストは、〈永遠センター〉の内情を暴露する本が出版されようとしていることを知らされるが、同時に買収されることも持ちかけられた。
　――牧師ニコラス・ナイトは、キリスト教でいう永遠の生命について、教会を訪ねてきた男に質問された。永遠の生命を信仰せよ、と語るナイトに対して、男は本当にそれを信じているのかを尋ねるがそのことをナイトは明言できず、その男、“永遠の不死”を失った男フランクリン・チャップマンは去って行ってしまい、ナイトは自分自身の信仰と教会が未だに存続している意味について悩むのだった――
　フロストの元に、チャップマンの裁判の弁護人を勤めていたアン・ハリソンが訪れた。チャップマンに対する判決、“永遠の不死”を失わせたが故に“永遠の不死”を剥奪されるという判決に対して、〈永遠センター〉から抗議してくれ、ということを依頼しに来たのだ。ともに食事をし自分は力になれない、ということを告げた後、フロストはアンに、自分になにかあったときのために、誤って送られてきた機密書類を預けることにした。
　そして、フロストは突然拉致・監禁され、〈永遠センター〉の活動を妨害する書籍の発行を暗黙に認めたということで、一方的に反逆罪として裁かれてしまった！　フロストは社会的に抹殺された存在として、額と両頬に緋文字の“Ｏ”のいれずみをされ、放り出されてしまう！
　いったい、いかなる陰謀がフロストを襲っているのか？
　そして、時間旅行の鍵を握るモナ・キャンベル博士はどこへ行ったのか？

　というのが『なぜ天国から呼び戻すのか？』の約１／３のあらすじです。

　この後フロストは“聖者”に助けられたり、また命を狙われたりしながら、かつて自分の祖父が住んでいたウィスコンシン州（出た！(^^;）の農場へ向かうことにした。
そして、偶然にモナ・キャンベルと出会う。モナ・キャンベルはそこで重大なことをフロストに告げた。時間旅行は不可能であり、それを知ったが故に自分は〈永遠センター〉を逃げ出したということを。肉体の“永遠の不死”が得られたとしても、地球はそのために人口が増えすぎてしまい、耐え難い地獄となってしまうだろう。
　一方、オグデン・ラッセルは十字架を立てても立てても風に吹き倒されてしまい、しかも自分の求めている安息が得られない理由は、胸の中に仕込まれている発信器（これにより、不慮の事故にあって死んだとしても、救急隊が駆けつけることができ冷凍保存してもらえる）があるために、肉体の“永遠の不死”があるために、神に見放されているのではないか、と恐れおののく。
　やがて、フロストはモナ・キャンベルを探しに来たアプルトンと対峙することになる。間一髪、アプルトンとレインの陰謀が発覚したことにより、フロストは救助された。だが、時間旅行が不可能であるということがわかれば、〈永遠センター〉はこのままではいられないだろう。“聖者”たちが語ってきた信仰といずれ対決することになるに違いないし、その対決がどちらの勝利になるにしろ、苦いものが残るに違いない――というのが、おおまかなストーリーです。
 

　この遺体の冷凍保存によるタイムトリップについては、『不死テクノロジー』（エド・レジス著、工作舎刊）という書籍が詳しく触れています。ことに１７３ページから、この『なぜ天国から呼び戻すのか？』についても触れられているので、そちらも参考にされてください。
　さて、いろいろ書く前に、なぜ肉体の“永遠の不死”が信仰（この場合はキリスト教ですね）にとって脅威になるのか、ということを押さえておかなければならないでしょう。簡単に言えば、キリスト教では、ヨハネ黙示録に描かれているような“最後の審判”の後、悪人は地獄に落ちて永遠に苦しみますが、善人（というのは神によって救われる価値があると看做されている人々）は、蘇って天国にて喜びの中永遠に生き続ける、という教義が存在するためです。ところが〈永遠センター〉によって、誰に対しても不老不死が与えられてしまうことになると信仰をする意味がなくなります。信仰をせずとも、肉体の“永遠の不死”が手に入るならば、毎日の礼拝や日曜の礼拝などせずともかまわないわけです（しかも、未来に備えて倹約に勤しんでいるために誰しもが質素な生活を送ることになるのだから、表面的には『金持ちが天国に行くのは駱駝が針の穴を通るのよりも難しい』という言葉をそのまま実践しているに近しい）。そして、信仰では“永遠の不死”が手に入るかはわかりませんが、〈永遠センター〉は“永遠の不死”をまず間違いなく与えてくれるのです。

　※イスラム教はまだともかくとして、辛辣な言い方をすれば、葬式がなくなるのですから葬式仏教は壊滅でしょう

　つまり、テクノロジー（人間の知性）が宗教（あるいは人間の知性を越えているかもしれないもの）と明確に対比されているのが、この『なぜ天国から呼び戻すのか？』という作品の特徴なのです。このことがわからないと、この作品の面白さ、そして面白くないことが理解できません。
　面白さという点については、テクノロジーが宗教を凌駕できるか否か、ということについて触れている点です。面白くなさ、というのは、この問題はさして問題とならずに話が展開していることですね。
　つまり、後半の部分は〈永遠センター〉の抱える問題よりも、フロストの逃避行とその原因に焦点が当てられているために、このテーマ性がぼやけてしまっているわけです。フロストが罠にはめられた理由も、レインとアプルトンが現在冷凍睡眠している人々の記録を故意に忘失させて浮いた財産を横領しようという書類がフロストに渡ってしまったからその口封じに、という話全体からすれば実にセコい理由なのです。
　読後、信仰が失われた世界で牧師をしていることに何の意味を持っているのか思い悩み、何もかも失ってしまった男をも救えなかったナイト牧師のパートや、真の信仰を見出そうとしてついに失敗してしまい、「神は我々を見捨てられたのだ！」とささやくオグデン・ラッセルのパートがもっと重要視されていたら、と感じました。
　その点を重視した作品だったとしたら（インタビューにおいて、シマックはラッセルの立てた十字架がすぐに倒されるのは、いかに信仰を保つのが難しいかということを比喩していたそうですから、その点については理解していたわけです）、この『なぜ天国から呼び戻すのか？』という作品は、宗教をメインテーマにした超一級のＳＦ作品として仕上がっていたに違いありません。
　宗教の存在価値について真っ正面から体当たりしようとして仕損ねたということで、この作品はシマックの作品としては失敗作だったと言えるでしょうね。ただ、弁護すれば、このような作品を、宗教書や思想書や哲学書などではなく、エンターテインメントであるＳＦとして提供することがいかに難しいか、ということを示しているとも言えます。