書名（邦名、原題名）

真鍮の家（訳者：青田　勝）
THE HOUSE OF BRASS

事件名（戒名）

ヘンドリック・ブラス真鍮の家殺人事件

被害者名

ヘンドリック・（サイモン）・ブラス（元貴金属商）

凶器

ペーパーナイフ（真鍮製、刃にも柄にも小さなるつぼの形や、いろいろな大きさの雲形模様が彫り込まれている）

死因

刺殺（胸部。おそらく失血死）

内容

ナイアガラ瀑布への新婚旅行から帰ってきたクイーン警視とジェシイは、留守宅に届いていた奇妙な手紙に気がついた。百ドル紙幣と半分に断ち切られた千ドル紙幣が添えられていたその手紙は、元貴金属商ヘンドリック・ブラスがジェシイ・シャーウッドに対して送った招待状だった。クイーン警視は、ジェシイのたっての望みのため、ニューヨーク州フィリップスキルにあるハウス・オブ・ブラスへ行くことにした。

荒れ果てたハウス・オブ・ブラスには、クイーン夫婦以外に６人の男女が集められていた。彼らが集まったところで、ヘンドリック・ブラスは重大なことを発表した。自分がブラス一族最後の生き残りであり、自分には六百万ドルに及ぶ財産があること、そしてこの財産の相続人として彼らを選ぶ用意がある、ということだった。ヘンドリック老人は、かつて若い頃、ここに集められた人々の親に一方ならぬ恩を受けたと語り、その恩返しとして彼らに遺産を残そうというのだ。しかし、その娘や息子が果たして恩を返すに相応しい相手かどうかを確かめるため、数週間ほどこの屋敷に滞在して欲しい、ともヘンドリック老人は告げた。

そして、彼らが集められたその夜、ヘンドリック老人は何者かに襲われた。頭部を強打されたものの、幸いにも命には別条なかったが、ヘンドリック老人は、警察による捜査を断固として拒絶した。今、ヘンドリック老人を殺しても、財産は手に入らないのに、いったい誰がヘンドリック老人を殺そうとしたのか。ジェシイが人違いで呼び寄せられたことから、クイーン警視は他にも人違いで呼び寄せられた者がいるのではないか、という疑いを抱き、以前事件解決に協力してもらった退職刑事に調査を依頼した。

その結果、思わぬことが判明した。集められた人々の両親は、ヘンドリックに対して恩を与えたどころか、実際は彼が憎悪を抱いても不思議ではないような行為をした人々だったのだ。ヘンドリック老人はそれを誤解だというが、クイーン警視は信じなかった。そして、ヘンドリック老人は、調査のため雇っていた私立探偵のヴォーンを呼び寄せ、彼を護衛とした。

退職警察官達の協力で、クイーン警視はヘンドリック老人にはもう財産と呼べるものがないということを知った。だが、それを告げられてもヘンドリック老人が動ずることはなかった。ヘンドリック老人は財産がいかなるものであるかを集められた人々に告げず、しかし財産相続に関する遺言書を作成した。

死刑執行書に署名をしたのと同じだ、というクイーン警視の危惧は的中した。遺言書を作成したその夜に、ヘンドリック老人の護衛をしていたヴォーンは背中を刺され、ヘンドリック老人自身もまた殺されてしまったのだ。果たして、誰がヘンドリック老人を殺害したのか？　また、ヘンドリック老人が言っていた六百万ドルの財産はこの屋敷のどこに残されているのか？　クイーン警視はこの事件を解決するために尽力するのだが……!?

感想

本作は『クイーン警視自身の事件』の直接的な続編である。『クイーン警視自身の事件』で知り合ったジェシイ・シャーウッドと再婚したクイーン警視（正確には元警視なのだが、前回同様、この表記で統一する）が、デカ魂を忘れることができずに、事件に鼻を突っ込んでいくというスタイルは前作と変わらずだが、本作では前作にも増して奇妙な謎がクイーン警視を翻弄することになる。というか、本当に翻弄されていて、事件の解決そのものはエラリイが行うのだから、クイーン警視ちょっと無念〜というところだろうか。

本作は、どちらかというと“不思議の国のエラリイ、もといクイーン警視夫妻”というスタイルで描かれている。奇妙な招待状、得体の知れない屋敷の主と不気味な従者、一癖も二癖もありそうな他の招待客、そして起こる殺人事件、というわけで、ある意味ゴシックホラー的な様式の展開を見せるのだが、残念ながら合理性を追い求める作家クイーンにはこのようなスタイルは不向きだったのでは、という感がある。どこもかしこも真鍮だらけという屋敷の奇妙さがもっと前面に出ていればまた異なった感じがするのだろうが、それが財産を隠すためのフェイクではないかという話が出てきてしまうので、話全体のムードを盛り上げる役に立っていないというのはもったいない話である。無論、作家クイーンはゴシックホラーを描きたかったわけではないのだから、意図していたことは実現できていたと思うのだが、そのため財産探しに奔走するクイーン警視が失敗を繰り返す、という方が目立ってしまうのは欠点ではなかろうか。せっかく、『クイーン警視自身の事件』に続くクイーン警視の主演作なのだから、鳶に油揚掠われるような役所につけるのはいかがなものか、という気がする。

謎にもう一つ深みがなかったのだから、せめて作品全体を流れるムードについて考慮してもらえれば面白い作品になったのにな、と思う部分がある本作であった。

特記事項

クイーン警視夫妻の新婚旅行先

クイーン警視はプエルトリコのサン・ファンか、バージン諸島のサンタ・クルーズ島に限ると決め込んでいたのだが、ジェシイのたっての望みでナイアガラ瀑布へと赴くことになった。ジェシイに言わせると、女はだれでも、たった一度の新婚旅行にはナイアガラ瀑布へ行きたい(P.9)ということらしい

挙式

グレニッジ・ビレッジにある小さな教会で結婚式を挙げた後、エラリイ主催による披露宴がアルゴンキン・ホテルで催された。ちなみに、エラリイがここで披露宴を行うことにしたのは、フランク事件の思い出を懐かしんだためとあるが、該事件に関する記述を聖典内では発見することができなかった。
披露宴でのクイーン警視夫妻の服は、ジェシイがバイオレットのアイルランドレースのドレス、クイーン警視は夏のタキシード（ただし、エラリイが勧めたカマーバンド着用をクイーン警視は断固として拒絶）
筆者も一度勧められて――というよりも無理矢理――カマーバンドを着用させられたことがあるが、あれをつけるとお腹が出て見えるのよね〜。クイーン警視の気持ちは分かる

招待状

ヘンドリック・ブラスから送られてきた招待状は、彫版で印刷した金の紋章入りの上質皮紙のノートペーパー、ただし茶色に変色していた

ハウス・オブ・ブラス所在地

ニューヨーク州フィリップスキルに近いところにある。
鉄道で行く場合はタリータウン、もしくはフィリップスキル駅下車後、タクシーを使用（フィリップスキルからの方がやや便利）
車で行く場合は、オルバニー駅馬車道路のオールド・リバー酒場を過ぎて二つ目の曲がり角を左に、最初の曲がり角を右に（私有道路の標識有り）
水路については、船着き場は古く破損後数年来放置しているため、安全ではなく不向き、とのこと

ハウス・オブ・ブラス

かつてはティファニーやカルティエと並ぶ、五番街でも格式の高い金製品専門店。
金属加工業に従事していたブラス家の人々は、比較的裕福だったことから、オランダからの移民後すぐに金持ちとなり、現在の所有地を購入した。屋敷の一部を作業場にあて、金銀細工、後にはプラチナ細工が有名となる。
ハウス・オブ・ブラスの顧客として有名な人々は下記のとおり。

デウィット・アリステア

ヘンドリック・ブラスの招待客の一人。こしらえものの名前のようだが、本名。ニュージャージー州ウィーホーケンの生まれで、詐欺師

ヒューバート・ソーントン

ヘンドリック・ブラスの招待客の一人。サウス・コーンウォール・メディカル・グループの患者からは“ドック”と呼ばれ親しまれている。４７歳で、外科用のメスのように痩せ、白髪頭に手入れをするのが面倒なためヒゲをはやしており、修理に出すヒマを惜しんで折れたツルをテープで止めている眼鏡を着用。ウォーターマンの万年筆を所有。医療以外の楽しみは、毎晩寝る前のブランデーの一杯。

コーネリア・オープンショー

ヘンドリック・ブラスの招待客の一人。３９歳、独身。不器量というよりは、とっつきにくいという印象を与える女性で、ヘレナ・ルービンスタイン化粧品店から買ってきた高級化粧品で厚化粧をしている。『ボストンの絞殺魔』、『冷血』などの犯罪実話の熱心な読者

キース・パーマー

ヘンドリック・ブラスの招待客の一人。ベトナムからの復員兵。復員後、生業であったスクラップ業を続けることに行き詰まりを感じ、目まぐるしく仕事を変え、あげくのはてに貨物列車に隠れて出奔したことも。妻（ジョーン）、息子（シュミーリー）あり

リン・オニール

ヘンドリック・ブラスの招待客の一人。ワイオミング州にあるワゴン・スプリングス出身。大草原を思わせるような雰囲気があるが、最後に馬に乗ったときには投げ出されて肋骨を三本折ったことのある六十年代の女性。
生家は炭鉱町であり、石炭の鉱脈が切れたとき、ゴーストタウンと化した

ムスタング

ジェシイがこれまで乗用していたダッジを売って買った新車。非常用消火バケツのような赤いボディと赤いシートで、オプションはフルセット

ハウス・オブ・ブラス邸

一つ一つが巣のように作られたいくつもの建物が寄り集まっている。一風変わっているのが、母屋のドアが一枚張りの真鍮で作られており、その表面にはものさし、るつぼ、金づち、彫刻具が一面に並んでいる。ノッカーにも同じような模様あり。
家の中はどこもかしこも真鍮で飾られ、初期のオランダ風の本物の品々にさえ真鍮が貼られている

フレック

フィリップスキルの警察署長。こういう小さな町の署長というものは、車の轢き逃げよりも少し気のきいた事件となると、誰にも相談せずに自分一人で取り扱いたがる、というクイーン警視の言葉とおり、ヘンドリック・ブラス殺害未遂事件に取り組むことになるが……

朝食の支度

ジェシイのためにクイーン警視がしていること。口では止めてくれ、と言っているが、ジェシイは実はこれを秘かに楽しみにしている

退職警察官たちの調査対象

ブラス邸を離れることができないクイーン警視は、『クイーン警視自身の事件』で協力を仰いだ退職警察官たちに、ブラス邸の招待客について調査を依頼した

ヘンドリック・ブラスが集めた人々の父母

ヘンドリック老人は、かつて招待客の父母から好意を受けたことがあるから、という理由で招待客を集めたのだが、実はそうではなかった

ヘンドリック・ウィレム

ヘンドリック老人語るところの、彼の兄。乱暴者で国中で狼藉を働いていたが、父の死後屋敷に戻ってきて仕事に没頭し、子孫を残さずに死亡した、とヘンドリック・サイモンは語る。上記のような出来事も、すべてヘンドリック・ウィレムに関わること、と話しているが……？

ヴォーン

本名はヴォーン・Ｊ・ヴォーン。私立探偵で、ヘンドリック老人の法律顧問。
頭髪は砂色で強く、短く刈っている。目は薄いグレイで、ピンストライプの服（仕立て代三百ドル、拳銃を収めたショルダーホルスターを隠すための特注）は、彼の筋肉を隠す役に立っていなかった。
シカゴの貧民窟で育ち、ジョリエット刑務所の図書室で法律を覚えた

出て行け、ゴジラめ(P.113)

ヘンドリックに従う従者、巨人のヒューゴーに対して、ヴォーンが言い放ったセリフ。
言うまでもなく、このゴジラはあのゴジラのことである（間違っても、うさゴジラのことではない）。アメリカでは１９５６年、『怪獣王ゴジラ』のタイトルでエンパシー･ピクチャーによって公開された。オリジナルではなく、レイモンド・パーがユナイテッド・ワールド・ニュースの記者スティーヴ・マーティンに扮し、テリー・モース監督の手により演出がなされたオリジナルシーンが含まれている再編集版で、フラスコ越しに話す芹沢博士はとっても別人らしい（笑）

ホンダ

ヒューゴーの私用車。“古い”と称されているが、この頃以前にホンダは輸出を行っていたのだろうか

ブラス家が溜めたツケ

ブラス家では長いこと生活用品の購入代金を支払わず、ツケにしていた。フィリップスキルの債権者代表として現れたミスター・フルーグルとミスター・チャニングが突きつけた代金は、それぞれ３０２５ドル１１セントと４４４３ドル１３セント、計７４６８ドル２４セント

家宅捜索

ヘンドリックが語っていた６００万ドルの財産はどこにあるのか？　死ぬ前に言い残していた言葉では、財産はこの屋敷に隠されている、ということから、屋敷中を捜索して出てきた珍しいものは次のとおり さらに家宅捜索の範囲は家を取り壊した後の周辺にまで及んだ。その際に発見された珍しいものは下記のとおり

８３２７ドル

母屋の天井と床が崩れるのを防ぐために、余分な鋼鉄の梁と柱とを取り付けることに対して、建築請負人シドニー・カートン・スローンがヘンドリックに提出した見積書に記載された金額

あんたが、どうして警察本部で警視の階級まで昇進できたのか、おれには合点がいかん(P.278)

フレック署長が、クイーン警視に対して浴びせた罵声。
それはね、息子のデキがよかったからだよ……とは、言っちゃいかんよな(^^;)

備考

本稿は早川書房文庫（昭和６０年５月１５日８刷）を参照にした

目次へ

ＨＯＭＥ